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小諸で過ごした22年 [草笛]

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東屋にて座禅する祖道さん(この写真の顔はとても柔和です)        紅葉丘にある欅の下での座禅


横山祖道さんの草笛を一度だけ聞いたことがある人間が、50有余年の時を経て、草笛を吹くようになりました。
それも小諸懐古園で・・・
思い返してみると、祖道さんと私との縁は無いようでいて、かなりあることに気付きました。(こじつけかもしれませんが)
それは、私が生まれたときに祖道さんが佐久の貞祥寺にいたこと・一度だけですが懐古園で祖道さんの草笛を聞いたことがあること・私が草笛を吹くようになったこと・小諸草笛会の一員として懐古園の草笛教室で観光客に草笛を教えるようになったこと・祖道さんの唯一の弟子である、柴田誠光上座と知己を得たこと・祖道さんの肉筆の書をいただいたこと。

横山祖道さんの情報が少ないこともあって、書くのが義務のような気がして、ブログを立ち上げました。
ただ、草笛を一度だけ聞いただけであり、面識があった訳ではありませんので、祖道さんの人となりは参考文献から個人的に感じたものであることをお断りしておきます。

このブログ作成にあたり参考にした資料
草笛禅師 横山祖道人と作品(紀尾井書房)
草笛禅師歌曲集(紀尾井書房)
横山祖道歌曲集(紀尾井書房)
普勧坐相みほとけ(大法輪閣)
柴田誠光上座提供による写真・書・音源等
小諸草笛会事務局 小林政利様から頂いた音源等

画像上で左クリックすると設定したサイズでご覧いただけます。
おことわり 掲載している写真等は汚れやキズを修整するため加工してあります。また、手を加えているものもあります。

祖道さんが小諸に来るきっかけについて語る音声があります。(昭和39年4月文化放送・民謡風物詩より抜粋)

この時の祖道さんは57歳で、草笛の音も若々しく、力強さがみなぎっています。そして、昭和23年に懐古園で草笛を吹いたことにも触れています。(すべてをお聞きになりたい方は、最下段のリンク先をクリックしてください。話の内容が文章化されて掲載されています)
2015.4.22
この中で、祖道さんが『草笛を歌う』ということばを使っているのがとても印象的です。今の私が草笛を吹くときに心掛けていることと相い通ずるものがある気がします。

祖道さんが小諸で草笛を吹こうとしたきっかけは、昭和23年に懐古園で観光客に草笛を吹いてあげたところ、たいそう喜んでもらえたことが動機で、(当時、佐久の貞祥寺に逗留していました)それならば、晩年は懐古園で草笛を吹いて過ごそうと決めたそうです。そして、浅間山が祖道さんを呼んでいたからとも。
私が思うにはそれだけではなく、懐古園の傍らを千曲川が流れていたのが、祖道さんの故郷の北上川を偲ばせ、島崎藤村の千曲川旅情の歌にある、『暮れ行けば浅間も見えず歌哀し佐久の草笛』の一節にも草笛を吹く者として、心惹かれるものがあったのではないかと思います。
ただ、晩年を懐古園で過ごすには51歳という年齢は若すぎるような気がしますが、それを決心させたのが、
昭和31年に松島海岸の岩に咲く撫子を汽車の窓から見て、少欲知足を教わったことと関係があるのでは?と個人的に思います。
少欲知足を語る祖道さんの肉声です。(長いので冒頭の部分のみの紹介です)

全てを捨て去り、草笛を吹くためだけに小諸の地に赴いたのは、昭和33年(1958年)4月9日のことでした。
以来、22年間にわたる小諸での生活が始まりました。

小諸に来る前の祖道さんの足跡を簡単に記しておきます
横山祖道(本名 横山運平)
明治40年(1907年)9月1日、父・横山栄、母・とも、の次男として生まれた。(4男5女の第6子)
家業は機織業(生家は、伊達家筆頭家老職の家柄であった)
大正3年(1914年)登米高等尋常小学校入学。
大正5年(1916年)3年生の時、草笛を覚える
尋常小学校を卒業後は家業を手伝いながら青年時代を過ごす。
昭和12年(1937)12月澤木興道師の許に出家し、尾張の雲居寺に預け入れられる。
昭和13年(1938)年1月 得度
昭和13年(1938).3~15年(1940) 伊豆最勝院
昭和15年(1940).5~17年(1942).5 総持寺
昭和17年(1942).5~21年(1946) 肥後の海蔵寺
昭和21年(1946).9~ 丹波の普応山十方寺
昭和21年(1946).10~ 羽後の東伝寺
昭和22年(1947).10~ 十方寺
昭和23年(1948)4.10~ 信濃の貞祥寺
昭和24年(1949).8~32年(1957)3.28 京都の安泰寺
昭和32年(1957)3.29~33年(1958)4.8 仙台にて静養
昭和33年(1958)4.9 小諸市に居を移す


全てを捨て去り、身一つで小諸に赴いた祖道さんの小諸での生活は、寺も檀家も持たないだけに、決して楽なものではなかったはずです。
懐古園では座禅を組み、草笛を吹いていただけならともかく、火を焚いて炊飯をしたり、草笛を聞いた人からの喜捨や、楽譜を求める観光客に譲って生活の糧を得ていたので、今風にいえばホームレスと思われていたかもしれません。
事実、私が家族で懐古園を訪れたとき、初めて聞く、もの哀しげな草笛の音に聞き入っていたら、(昭和34年ころ)父親に「そんなものを聞いているんじゃない」と言われ、その場を後にしました。
こども心に、なぜ聞いてはいけないのだろうと思いましたが、父は祖道さんを物乞いと思っていたようです。そのように思っていた人は少なからずいたのではないでしょうか。
地道な活動を続けた結果、次第にその名声は高まり、草笛禅師あるいは草笛老師と呼ばれ、昭和の良寛さんとも称されました。

昭和55年(1980)5月21日を最後に、懐古園で祖道さんの草笛を聞くことはできなくなりました。
翌日から床に伏し、6月16日午前零時四十分、73年の生涯を終えましたが、その日は、祖道さんの師である澤木興道さんの誕生日と同じ日でした。

祖道さんの師である澤木興道さん、あるいは弟弟子である内山興正さんが八十数歳の天寿を全うされたのに対し、七十三歳で亡くなっているのは、戸外で草笛を吹いていたことと無関係ではない気がします。
戸外での生活、特に小諸の厳しい冬の寒さが、次第に体力を奪っていったのは間違いないでしょう。
せめて、寒さだけでもしのげる庵のようなものがあったら、もう少し元気な姿を見ることが出来たであろうと思います。

物欲の塊のような人間である私にはまねのできない、『少欲知足』を実践して生涯を送った横山祖道さんに改めて敬意を表します。
そんな私にできることといえば、草笛を吹いて旅人(観光客)に思い出を持って帰ってもらうことでしょうか。
祖道さんが説教の代わりに草笛に込めた、正法眼蔵四摂法(布施・愛語・利行・同事)を自分なりに解釈して草笛を吹きたいと思います。


祖道さんが草笛を吹いていた”笹薮のもと”横(東屋の前)にある武器庫の2階で草笛禅師横山祖道資料展が開催されています。草笛教室開催中か、観光ガイドによる案内時に希望すれば見ることができます

横山祖道さんの資料を集めた素晴らしい資料館が開設されましたのでご覧ください                                                                     こちらからどうぞ  http://kusabuezenji.jp                                                                                                        
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